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第3話後編「その願いは叶えさせたくないから」04

◇   ◇


美癸恋(みきこい)町の街中にワープしたかのようだった。


けれど、今いる場所はつきねがいつも暮らしている街とは異なっている。


ただでさえ静かな夜だったが、ここは耳が痛いほど音が消えた世界だ。


紅い月が高いビルの隙間からつきねを見ていた。


(やっぱり本当だったんだ……)


つきねの着ているものも部屋着から、アーティストのステージ衣装のようなものに変わっていた。


しかし、非現実の連続に驚く暇はつきねにはない。


「おねーちゃんは……」


ここねは起き上がり、軽く手で埃を払ったところだった。


「なんだか変なところ来ちゃったねー」


つきねに届いたその声はトボけたようでいて、どこか困っているような響きをしていた。


つきねの顔を見たここねが尋ねてきた。


「……どうしたの? 怖い顔してるよ」


つきねは一瞬だけ目を閉じる。できることなら争わず「呪い」をここねから引き剥がしたかった。


「おねーちゃんを助けるためだよ。返してもらうよ」


「つきねの頼みでもそれは聞けないね」


つきねは「何を」とは言わない。ここねも「何を」とは問わない。


お互いやることは決まっていた。


風を切るような速度でつきねは駆けた。その直後——


「っ!?」


自分の身体能力に驚愕して、つきねは一瞬足を止めてしまった。


(なんでこんなスピードで走れるの!?)


ここねは逃げることなく、こちらを見据えていた。


驚きを抑え込み、つきねはすぐさま走り出す。身体は軽く、瞬く間にここねに迫る。


ここねは心臓を守るように左腕を構えている。


こうされてはつきねの手は容易には呪いには届かない。


注視していると、姉の胸の奥に黒く渦巻くものを感じた。


いかにも禍々しく、つきねは直感的にそれが「呪い」なのだと思った。


「やめよう、つきね」


「嫌! おねーちゃんと一緒にいられなくなるっ!なんでつきねに何も教えてくれなかったの!?」


「だって、納得するわけないから」


「当たり前だよ!! つきねのせいでおねーちゃんが死んじゃうのに……!」


つきねは叫んでいた。


「勝手すぎるよ……」


翠玉色の淡い光を宿した瞳が涙を零れていた。


それでも、つきねは腕を突き出した。


普段のつきねでは決してできない動きだ。


しかし、ここねに拳を弾かれる。この身体能力の爆発的な向上も、つきねだけのものではない。


「ごめん。呪いは渡さない」


姉は少し後ずさりして、つきねと距離を取った。


目の前にいるというのに、ここねの存在をとても遠くに感じるつきね。


「でも、もしかしたら、私の症状はつきねより軽めだしこのまま治っちゃうかもしれないしさ」


「かもしれないじゃダメだよ! 呪いをどうにかする方法を二人で考えようよ」


ここねからの返事はない。


「最初つきねの中にあったんだよ。おねーちゃんが抱えることなんてないよ。だから……!」


あれは内包し続けたら心身に支障を来すものだとつきねも知っている。


「呪いを返して、つきねが前みたいに倒れない保証なんてない。だから……私は、このまま——」


「どうして……? おねーちゃん」


言葉の続きを聞きたくなくて、つきねは遮っていた。


ここねがそう言う理由はつきねにだって分かる。しかし、つきねには分かりたくないものだった。


自分のためにここねが命を落とす。受け入れられない。受け入れられる理由ではなかった。


つきねの提案は手を伸ばして雲をつかむような話で、その困難さを想像すらできないものだとしても、ここねとならできる。つきねはそう信じている。


「これからもずっと一緒って言ったのに……!」


「……つきね」



ここねに肉薄するつきねは黒い靄から目を離さない。


地面を蹴る音や着地音が一定のリズムで響いていく。


ここねとつきねしかいない大通りで二人の影が舞い踊る。


しかし、実態は踊りのような優雅なものではない。


つきねの表情は険しく、ここねは悲しげに眉を下げている。


攻守が変わることはなく、単調でここねとしては守りやすい。


正面から来る攻撃を捌けばいい。


この紅い月の下では驚異的な身体能力が発揮されると言っても、自らの経験や知識にない動きをイメージ通り再現するのはまだ難しい。特につきねは自分がこの世界でできることに関して把握し切れていない。


二つの影が止まり——パシッと乾いた音が生まれた。


心臓を狙ってつきねが放った拳は、ここねに受け止められしまった。


「おねーちゃんが苦しそうにしてるの……つらいよ」


つきねは自分の気持ちを言葉にしていく。


「……うん」


「これからも一緒にいてよ。一緒に歌おうよ……たくさん」


「……うん」


「おねーちゃんの夢、叶えたいよ。まね先輩と三人でさ……」


「……うん。だけど、つきねには渡さないから」


つきねは力なく腕を下げ、俯いた。


ここねは俯いた妹の頭を撫でる。


「でも、ありがとう。つきね」


つきねの声が心の深いところまで届いてきて、思ってしまった。


このまま自分の意志を無理に突き通したら、あと何回つきねと笑い合えるんだろう?と。


妹と仲違いをしたまま過ごす時間にここねは価値を見出せそうになかった。



「二人で呪いに負けない方法を探そうか。神頼みでも何でもして」


「呪いは……ずっとおねーちゃんが持ってるつもりなの? 二人で呪いを渡し合って時間稼ぎとかできないかな?」


「何度もできるのか分からないし、やめといたほうがいいと思う」


ここねとしては譲れない点だ。つきねをもう一度危険に晒したくはない。


「いいアイデアだと思うのに……頑固だなぁ」


つきねは完全には納得してないようだった。


「つきねが私の妹でよかったよ……ちょっと弱気になってたから」


つきねがここねを抱きしめてくる。ふんわりシャンプーの香りがここねの鼻腔をくすぐる。


「どういたしまして」


妹を守りたい一心で、色々な可能性を手放すところだった。


(私……いつもつきねに助けてもらってるなぁ)


一人しかいない姉妹だ。絶対に失いたくない。



抱擁を解くと、紅い月は消えていてここねはベッドの上に戻っていた。


前回と同じように服装も元通りだ。


「わっ!? 戻る時も一瞬だ……」


見慣れた部屋でキョロキョロしているつきねは、何とも可愛かった。


ここねたちはお休みを言って、明日の約束を交わした。


理不尽すら跳ね退ける力が身体の内から湧いてくるような充足感に包まれながら、ここねは眠りについた。


《おわり》


◇   ◇


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